非体育会系の私がハマったシニア・チアダンス 「チアと私」⑤
ついに初舞台
入会から約1年たった2019年、3月25日のUSAジャパンが新人の私たちの初舞台だった。
以下、簡単に説明させていただく。
USAジャパンは、アメリカのロバート・オルムステッド氏がユナイテッドスピリットアソシエーションを広めるために立ち上げた組織の日本版。チアリーダースピリットとチアリーダーカルチャーの発展を目的としていて、スピリット活動(応援活動)はいろいろなスポーツ大会のみならず、チャリティなどさまざまなところで活躍している。
USAジャパンは、そのチアリーディングとダンスの全国選抜大会である。
実際には、全国から選抜された中高校、大学生の数百のチームがなんと5日間に渡って競う一番大きい大会なのである。
ジャパンポンポンは、もちろん競技枠に入らない。25日の夕方にゲスト出演するのだ。
この公演のために半年以上22名のメンバー全員が毎週練習をしてきた。
しかし、ドキドキする。こんなにハイレベルの大会にゲストとはいえ、出ちゃうなんて大丈夫なのか?
控室での着替えやメイク、リハなども初めての経験だ。真っ赤なスパンコールの衣装、茶髪のウィッグ、ブルーのシャドーに真っ赤な口紅、つけまつ毛も人生初の体験だ。緊張して指が震えてうまくつけられない。仕上がりはドラッグクィーンみたいだが、みんなそうなので、もはや気にもならない。
そして、若い人たちのパワーはハンパない。リハ室、廊下などで、これから出演なのに全力で何回もくるくるターンしたり難易度の高いフリを何回も復習している。客席でも何チームかの演技を1時間くらい観た。どのチームも個人個人の技、フォーメーションの完成度が高くて美しい。そして、何よりテンションの高さに圧倒される。すご〜い!
ついにその日の最後から2番目にジャパンポンポンの出番が来た。
舞台に出ていったら、ワ〜ッと歓声が上がる。若い人たちがこぞって応援してくれているのだ。なんだかすごく楽しくなってきた。ナオトインティラミの軽快な「カーニバル」のサンバに合わせて踊る。最初のフォーメーションのフリ、そしてラインダンスの一直線の並びと同時にビシッとあげる足。とにかく、若い人たちのキレッキレの演技を見ていたので、こちらもテンションが上がっていつもよりビシッとできたように思う。なんとかノーミスでクリア。
最後に先輩を膝に乗せるスタンツの台役もできてよかった。ホッとする。
退場の時も若い人たちの声援に送られ、最高にうれしかった。外に出たら、こっそり知らせて来てくれた友人たちが「よかった〜。こんなにキレッキレに踊るとは思わなかった」と言ってくれた。感激屋の友人は涙ぐんですらいる。
なんとか半年くらい練習すれば、ひとまず踊れるようになるのだ。そして、それはかなり楽しい!とても楽しい!
体力の続く限り、先輩たちを見習って続けていきたいと思う。
「いくつになっても、始めるのに遅いということはない」というのが滝野さんの言葉だが、本当にそう思う。
さぁ、みなさんも何かを始めてみませんか?
非体育会系の私がハマったシニア・チアダンス 「チアと私」④
新曲は新旧メンバー全員で
先輩たちは、ラ・ラ・ランドを練習していたけれど、新メンバーが揃ったところで新曲を練習することになった。それも、いきなり、テンポの早いサンバ調の音楽だ! JPPでは、新曲を大体半年でマスターすることになっている。
そんな中で、最初はフリも覚えられず、まごまごするばかりだった。
毎週月曜の夕方に集合すると、30分ほど丁寧にストレッチをし、それからフリを順々に覚えながら踊る。大体、みんなビデオやスマホで動画を撮り、うちで練習して来る。先輩たちは慣れもあると思うが、翌週にはほぼビシッと踊っている。大体、ほぼ全員が毎週出席する。1回でも休むとついていけないからだ。もちろん、新人の人たちもきっちり練習して来る。
私はといえば・・・。会社員人生が終わり。これからは自由に自分の人生を生きて、楽しく暮らそう!と思っている輩である。キツい、キツすぎる!
しかし、練習に行くと、先輩たちがハツラツと踊っていて、信じられないくらい元気な姿を目の当たりにする。
すごく上手な指導をしてくださるコーチだけではない。先輩たちにも叱咤激励される。
「ほら、そこのところ、ハイVがきちんとできてないわよ!」
「テンポがちょっと遅れてる〜」
フリがいつまでも覚えられないと「あなた、やる気あるの?」
これ職場で言ったら、パワハラになりかねないくらい体育会系なのだが、これがずっと体育会系を避けて通って来た私には新鮮この上ない。
同期の人たちのやさしい協力もあってなんとか続けられた。
非体育会系の私がハマったシニア・チアダンス 「チアと私」③
オーディションから試用期間
その後、3ヶ月ほどたったころだろうか、JPPからメールがあり、ちょうどオーディションがあるので、その日に見学に来ませんか?とのことだった。
ムック本も一段落し、今後のこともあるから滝野さんには会いたい。そしてこういうオーディションに来るのって一体どんな人たちなの?と好奇心がわき、行くことにした。当日、指定された体育館に行くと、広い中に大勢の女性たちがいる。みな思い思いのスポーツウェアに身を包んでいる。
わ、こんなにたくさんのメンバーが、と勘違いしそうになったが、今日はオーディションだから、ここに来ている人たちはみなオーディションに来たのだ、とびっくりする。その数44名ほどだったかと思う。
オーディションは、JPPの滝野さん、リーダー、役員、そしてUSAジャパンの副代表のコーチの数名が審査員で来ていた。
リーダーがテキパキと「これから1時間で簡単なフリを覚えていただきます。その後、4人ずつここに入場していただき、審査をして選考させていただきます」
私は、そもそも見学に来たはずだ。だが、この流れでは一緒にオーディションを受けるのか?「え、私もやるんですか?」と思ったが、こういう場面をおもしろがる悪いクセがある。とにかくなんでも経験だ、と思い、一緒に音楽に合わせて踊ってみる。が、私は生来ダンス音痴。次女は小さい頃から、一度フリを見るとすぐに踊れるが、私は全くダメだ。一向に覚えられないまま、1時間がたった。
それから、みな外に出され、4名ずつ踊ることになった。その前にコーチが「
フリを間違えても、絶対に動きを止めないこと。ニコニコスマイルを忘れずに」と一言おっしゃった。
ぜんぜんちゃんと踊れなかったけれど、とにかく動きを止めない、楽しそうに踊るということだけは守った。終わったら、何だかすがすがしい気分だった。
なんか楽しい!でも、フリを完全に覚えられなかったからダメもと、と思って帰宅した翌日、JPPからメールが来た。「おめでとうございます。合格です。ついては来週月曜から17時〜20時の練習に来てください」とのことだった。
ダンスを長年やって来た人たちが大勢いたはずだったので驚きだったけれど、
ま、これも何かのご縁と思って、翌週行く。
そこには55歳〜75歳までの8名の合格者が来ていた。そして、またリーダーに言われる。「みなさんは、今は試用期間です。これから2ヶ月かけて、基本のダンスを1曲練習してマスターしていただき、その後、またオーディションをやり、選考させていただきます」
ヒェ〜、2ヶ月で覚えてまたオーディション!?と思ったが、とにかく乗りかけた船である。やるっきゃない。仮採用の私たちは、先輩たちが一番初めにマスターする「ブックドオンマーチ」を2ヶ月練習した。
本格的に入会
同期のみんなは、本当にまじめできっちりフリを覚えてくる。バレエや社交ダンスなどそもそも踊りの素養のある人も多い。そんな中でダンス音痴の私が覚えるのは大変だった。頭ではわかっても、身体がそのフリをできない、そんなことが続いたが、あっという間に2ヶ月がたち、入会できるか否かのオーディションになった。やはり4名で2回ずつ踊った。なんとか間違えずにできたのでホッとする。翌日、メールで「本格的に合格したので、来週から頑張ってください」との連絡が来る。
ありえない、そんな気持ちだった。けれど、なんだかうれしかった。久しく味わっていなかった達成感だったのかもしれない。
非体育会系の私がハマったシニア・チアダンス 「チアと私」②
のっけから自分の話で申し訳ないが、私は2018年7月に日本最古のシニア・チアダンスグループ「ジャパンポンポン」に正式に入会した。入会のきっかけから現在に至る経緯を書きたいと思う。
体験こそすべて。年だから何かを始めるのは遅い、とあきらめなくてよかった!それを実際に経験したからだ。
ジャパンポンポンとは
ジャパンポンポンは、創始者の滝野文恵さんが1996年に立ち上げた、創立24周年を迎えるシニアのチアダンスチームである。
滝野さんは、1984年、52歳の時にアメリカ・テキサスに「老年学」を学びに単独留学。帰国して62歳の時に送ってもらった本に「アメリカには平均年齢74歳のチアリーダーグループがある」と知り、シニアでもチアができる。日本にないならば私がやろう!と思い立ち、アリゾナ州のサンシティポンズというチームのリーダーとやりとりを重ね、友人たちに声がけをして10人で立ち上げた。
最初はチアリーダーではなくバトン部のコーチに教わりながら、以降7周年に7曲、10周年には10曲を披露し、2015年には20周年記念のチャリティショーを行った。入会資格は「55歳以上」だが、平均年齢は71歳。毎年年を重ねていくので、疲れるし、忘れるし、みなさん人の話を聞かないし、とは滝野さんの弁だが、何より楽しんでいる人たちがメンバーだ。
チアに出会ったきっかけは
入会のきっかけは、不純な動機。集英社で長年、女性誌の編集者として仕事をし、満期でリタイアした私は、その後、フリーで編集やライティングの仕事をしている。その中に、シニア女性の素敵なライフスタイルを紹介する「美しい人の大人スタイル」というムック本の取材があった。
最初に、取材対象となる素敵な女性候補を探していた。その時、たまたまTV番組でジャパンポンポン(以下JPP)の創始者、滝野文恵さんを見た。
チアダンスのシーンもあったが、それより自宅で全身が見える鏡を通るたびにフリをくりかえす、Tシャツにデニムのカジュアルな格好がかっこよかった。そのとき、あ、この人はロックだな、生き方もかっこいいに違いない、と直感した。
そこで、まず、滝野さんに会う段取りを考えたが、ジャパンポンポンというチーム名しかわからない。ネットでHPを検索したら出てきたので、HPのお問い合わせ先に連絡をしてみた。滝野さんにお会いしたいということ、ついては一度、練習風景を見学させていただきたいとメールした。
ほどなく返信があり、毎週月曜の夕方に某所で練習をしているので見学は随時受け付けています、とのことだった。さっそく行こうと思ったが、すでにムックの取材は始まっていて、なかなか時間が取れなかった。そのうち、取材候補の人たちは決まってしまい、見学に行く機会を失ってしまった。
非体育会系の私がハマったシニア・チアダンス 「チアと私」①
私が日本最古のシニア向けチアダンスのチームに入ったのは、取材をしようと思って見学に行ったのがきっかけ。
人生、何が起きるかわからない。ダンスなどやったことのない、基本ぐうたらな私がなぜ、やることになったのか、
そして結構ちゃんと1年続いたのか?
創始者の滝野文恵さんに、「ちょっとあなた原稿書いてよ、私の関わっているボランティア新聞に載せたいから。」
と言われて書いてみました。
「いくつになっても何かを始めるのに遅いということはない」というのは滝野さんのお言葉。現在87歳、現役で踊っている大先輩は24年前にこのチアダンスチームを立ち上げました。
ぜひ、読んでくださいね。元気になれますよ。
日々カレー
連休にインドに行った。今の時期は暑くて観光するどころではなかったので、南のケララ、北のリシュケシュへ、アーユルヴェーダの旅をしてきた。
唐突に思い出す。ケララの地元の人たちの行くレストランのミールスはとてもおいしかった。地元の冬瓜やうりやズッキーニを使ったホテルのカレーもおいしかった。毎日カレーを食べていたけれど、さまざまなカレーが出てきて飽きなかった。
南のホテルでも北のホテルでも、クッキングクラスがあって、その土地のカレーを教えてくれた。当たり前だけれど、インドの人たちはお味噌汁を作るように簡単にカレーを作る。カレーにもよると思うけど、だいたい20分くらいでできる。ルーを使わないからドロリとせず、サラっとしたカレーはお腹にもたれない。
帰ってから、改めて、インドのカレーを思いだして作っている。
卵のカレーは、今回覚えてきたものではなく、インドに留学していた長女から教わった。娘はインドの北東部、コルカタから北へ3時間ほど行ったシャンティニケタンというところにあるタゴール大学へ美術を学びに行った。私が訪れた時、大学の先生がご自宅の食事に招待してくださった。その時に出てきた料理の一つが卵カレー。今では娘の自慢料理になっているのでざっくり教わった。
卵は固ゆでにしてスパイスでマリネしてから、揚げ焼きする。
鍋にオイルを入れ、マスタードシードを入れて炒めて香りが出たら、ニンニク、しょうが、玉ねぎ、スパイス、トマト、塩などを入れて煮込む。途中で卵を入れて一緒に煮込んで仕上げる。
もう一つのカレーは、キーマカレーで、スパイス、ナッツ、そしてたくさんのパセリを入れて仕上げる。よく考えたら、これも以前から作っていたので新しいレシピではない。けれど、スパイスの使い方を教えてもらったので、自分の目指す味やスパイシーさの加減がわかるようになった。
カレーはいろいろなアレンジができるので楽しい。うちのカレーがおいしいとかなりハッピーだと思う。
中華が好き 「沙漠之月」
タイトルの通り、中華が好きだ。
自分では気付かなかったのだが、友人と外食するとき、中華というジャンルを提案しがちなのだそうだ。
でも、中華は良い。
中華が嫌いな人はそうそういないし、高級でなくても美味しいお店がたくさんある。
同じ餃子でも、麻婆豆腐でも、お店によって全く違ったりしてワクワクする。
気取らない雰囲気の中で、気の知れた人達と本能のまま食べる。そんな時間も好きだ。
ということでマイペースに中華のお店を記録していこうと思う。
まずは最近から2番目に行った中華のお店。
池袋にある「沙漠之月」
駅から結構離れた、雑居ビルの3階にあって、
周りには何もない。まぢで砂漠だ。
体格のよい男性だったらハミ出そうな、小さい螺旋階段を登ると、文化祭とかでみたことあるような文字で「沙漠之月」と書いた黒いドア。
これぞ、ザ怪しい、である。
恐る恐る入ってみると、
たった5席のカウンター。
黒い革張りのシートのその奥に、ちっちゃなキッチン。
中華鍋や火力ボーボーのコンロもない。
というか、簡易コンロ…ここはスナックか?
唖然としていると、オーナーらしきお姉さん(の時は美人だったろうな)が画用紙を広げて何やら書いている。
「メニューのびゃんびゃん麺の字が検索で出てこないから、仕方なく書いてるのよ〜」
(ドアの前で見た店名の文字に対する疑問はあながち間違っていなかった。)
入って1分で不安しかないが、ここまで来てしまったのでとりあえず着席してメニューを見せてもらう。
事前予習だと、オーナーの英英(インイン)さんにより繰り広げられる、甘粛省料理や小麦料理の数々を楽しめるらしい。
甘粛省…モンゴルとかウイグルに近い内陸なのね、とはいえ専門家じゃないのでよくわからない。
「中国の敦煌という地域でカフェをやっていたのよ〜。ご飯作るのが好きだからね〜」
とのこと。
まあとにかく気になったものをいただく。
まずは、豚軟骨の煮物(煮卵つき)
八角が効いているが、優しい。軟骨だから骨の周りからトロッとお肉が剥がれた。
こちらはセロリと葛切り、豚肉の炒め物
葛切り…❣️と思って頼んだ
生姜とにんにく、豆鼓とか豆板醤を入れて
お肉を最初に和えているのがチラッと見えた
葛切りのモチモチとセロリのシャキシャキが
クセになる、ピリ辛でお酒が進みます。
私はちなみにお酒弱い設定なので、甘い柚子のお酒
餃子❣️
水餃子もあって迷った挙句の、
「普通は水餃子だけど日本人焼き餃子好きでしょう〜、だから作ったの」
ここは本場っぽい餃子をば、と思っていたが
権力強めな同行者のご要望で焼き餃子。
その日によって具は異なるらしいが、今日は豚とセロリ。
インインさんここからすごい。
大きな生地の塊を手際よく切り分けて、餃子の皮を伸ばし始めた。あっという間にタネを詰めて、例のあの簡易コンロで焼いている。
その過程で、自分のムスメの愚痴を休まずに話すのもすごい。
ほおおおお、と眺めながら、なんとなく相槌を打っている間に餃子が出来上がってしまった。
タレは好きに作ってね〜。
手作りの辣油、日本の醤油、中国醤油、黒酢を並べてくれた。
熱々のうちに食べる。
何だこの生地のモチモチなのに厚すぎず、噛んだ瞬間に肉汁が出てくる感じ。
餡も肉〜!というより野菜多めで
中のスープも甘くて、すごく軽くてパクパクいける。
タレなど工夫する間もなく、無心になって食べてしまった。
はあ、なくなってしまった。
儚い系餃子だ、しかも生地がもっちりしているのに儚いなんて、儚くてずるい系餃子だ。
気を取り直して麻婆豆腐。
なんとここで、マイ・ベスト麻婆に出会ってしまった。
いや気安くマイ・ベストなんて言っちゃいけないけど、いや、私はインインさんのこの麻婆豆腐がすごく好きだ!!
山椒効いてる系の、よくあるやつねーと思っちゃいけない。
ちゃんと旨味が濃が、深い!!!
あんまり私がベラベラ喋っても、うるさいだけなんで写真で想像してください。もう。
どんどん無心で食べ進めていると、じわじわ辛くなってきて、
これはご飯なのでは!と思い、
食い気味に「ご飯を!」と頼む。
するとインインさんなんと、
「ご飯はないよ、うちのとこじゃ米食べる文化ないからネ〜」
(´༎ຶོρ༎ຶོ`)うう、
まさにこんな顔をしていたと思う。
そんな時、
「麺ならあるよ。裏メニューだけどね、食べる?」
食べますうううううううううう。
麻婆麺だと…!?いかない訳がない。
一度下げたところをはるかに超えてくる感じさすがだ、インインさん。
ということで、おもむろに麺(もちろんこれも自家製)を茹でて、サッと
食べ尽くさず残しておいた麻婆と絡めてくれた。
見てください。この姿。
旨味が詰まった麻婆の油が麺全体に絡んで、お箸が止まらない。
麺も主張し過ぎず、それがまた良い。
するっするっとおさまってしまう(口の中に)。
ヒイヒイ言いつつも無我夢中で、気がついたらほとんど無くなっていた。
しかし汁麺も気になって仕方がない私。
最後に、お願いしまあああああっす!
と意気込んで頼んだ。汁の麺(名前は失念、おい)
具は卵とトマトだ。
麺は麺と言いつつも、生地を平たく伸ばして、ちぎったものが入っている。
ん、、、せんべい汁?
謎が謎を呼ぶ中、スープを口にする。
なんと優しいお味。そうです、これはミネストローネ。
チャイニーズミネストローネですね。
トマトと卵のまろやかな風味にごま油が効いていて香ばしく、その中でもちっという
麺の食感 がなんともいえず心地よい。
途中味変で、インインさん特製の辣油を入れたり、お酢を入れると、
さらに世界が広がる。
おかげで麻婆によってヒリヒリだった口の中が、うまい具合に落ち着いた。
美味しい中華に出会うと、夢中を超えてトランス状態のようになる。
今日も麻婆豆腐辺りから記憶も曖昧になりながら食べていた。(ちょっとヤバい奴)
食後すごくお腹がいっぱいになるのだけど、元気が出てくる感じと、理由はわからないが謎の達成感が湧いてくる。その感覚も含めてやっぱり、私は中華が好きなのだ。
近頃、辺境中華やどこどこ地方の〜という料理が流行っているようだが、
そんな料理が食べたいあなた、本当にまあまあ辺境にはありますが「沙漠之月」おすすめします。